Pulau Dewata(神々の島)
現在インドネシアは国民の90%近くがイスラム教ですが、バリ島だけはヒンドゥー教が大多数です。
過去には現在のインドネシア全域をヒンドゥー教が大多数で占めていた時期もありました。各宗教王朝、王国による争い、外国の影響により宗教が変化していったのです。
ジャワ島はバリ島のすぐ隣の島(最短2.4km)のため古くから交流が深く、ジャワ島の文化がバリ島に大きく影響しました。
バリ・ヒンドゥー教とは「バリの土着宗教」と「インドの仏教」や「インドのヒンドゥー教」が習合したもので、バリの人々の90%以上がこれに基づいた暮らしをしています。
- 紀元前1世紀の頃から
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インドの商人たちがジャワ島へ訪れるようになり、「ヒンドゥー教の影響を受けた独自の文化」がジャワ島各地で発展し始める。
- 7世紀(西暦601年から700年まで)
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ジャワ島の隣の島、スマトラ島南部を本拠地とする仏教「シュリーヴィジャヤ王国」がマラッカ海峡を制圧し東西貿易で重要な位置を占めるようになると、「仏教文化」がジャワ島各地で栄え繁栄を極めた。
- 8世紀~10世紀
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バリ島では「ヒンドゥー教」や「仏教」が、ジャワ島より伝来した。
ジャワ島東部に
「古マタラム王国」によりプランバナン寺院が建設された。
「シャイレーンドラ朝」によりボロブドゥール寺院が建設された。
- プランバナン寺院群(世界遺産)
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ヒンドゥー教寺院と仏教寺院からなりますが、中心的構造物となる「プランバナン寺院」はインドネシア最大のヒンドゥー教寺院です。
- ボロブドゥール寺院遺跡群(世界遺産)
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巨大な石造ストゥーパ(仏塔)の「ボロブドゥール寺院」は世界最大級の仏教寺院です。
- 913年頃
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バリ島で、430年近くバリ島を支配する「ワルマデワ王朝」が始まる。
この王朝の初期は世襲ではなく、称号にワルマデワを共有する君主のグループのことをいいます。
この王朝は誰が創設したという明確な情報がありませんが、ヒントになる貴重なものがサヌールにあります。
サヌールの「ブランジョン寺院」には、碑文が彫られた「ブランジョンの柱」といわれる石柱があります。この碑文は「スリ・クサリ・ワルマデワ」という人物が作成し、彼がそのワルマデワという名前を使用した最古の人物ということがわかりました。つまりワルマデワという名前を使用した最初のバリの王と解釈しています。
碑文では、「スリ・クサリ・ワルマ」の部分だけが読めます。「ワルマデワ」の「デワ」がそこに書かれていたと推測されます。
「ブランジョンの柱」は戦勝の記念柱で、碑文の内容は、シャカ暦835年(西暦913年)に敵を倒すことに成功し領土を征服した様子が書かれています。興味深いのは、碑文が「古バリ語」と北インドを中心に使われていた「サンスクリット語」を用いて書かれていることです。
現在は、寺院の隣で保管されています。
- 960年
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「ワルマデワ王朝」によりティルタ・ウンプル寺院が建設された。
- 11世紀(西暦1001年から1100年まで)
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「ワルマデワ王朝」により「(王家の谷)グヌン・カウウィ遺跡」が造られた。
※この遺跡には謎が多く、誰が何のために建てたか不明で、王の巨大墓石という説や、王に敬意を表して建てられたなど今もまだ解明されていません。
ここには、古代王たちの「プダルマン」という神聖な寺院が建てられており、寺院の扉には、2つの言葉が残されていました。
「プクリサン(遺跡近くを流れる川の名)の高貴な人々を意味する言葉」と、「11世紀にバリ島を統治したウダヤナ王(ワルマデワ王朝)の二人の息子を意味する言葉」です。 - 1292年
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ヒンドゥー教「マジャパヒト王国」がジャワ島中東部に建国された。
現在のインドネシア全域、マレーシア、フィリピンの一部まで影響力があったとされる。 - 1342年
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「マジャパヒト王国」が「ワルマデワ王朝」を滅ぼしバリ島を征服した。
この時の宰相は「ガジャ・マダ」 - 16世紀前半
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「マジャパヒト王国」がイスラム教「ドゥマク王国」により倒され、ジャワ島全域でイスラム教が浸透していった。
「マジャパヒト王国」の廷臣、僧侶、工芸師たちが大挙してバリ島に亡命した。バリ・ヒンドゥー教の発展ジャワ島からバリ島へ亡命してきた「マジャパヒト王国」の廷臣、僧侶、工芸師たちの影響により、芸能、音楽、芸術などの文化発展、さらには、ウルワツ寺院の増築や、タナロット寺院など多くの寺院を建立したなど宗教面での発展にも影響しました。
オランダ領東インド領土とされるまで、バリは独自の歴史を歩み続け、バリ・ヒンドゥー教を発展させてきました。 - 17世紀と18世紀
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インドネシア東部の島々は、主に「アニミズム(人間や人間以外の植物や石など全ての物の中に魂が宿っているという思想や信仰のこと)」からイスラム教やキリスト教へと変化していきました。
しかし、バリ島だけは依然としてヒンドゥー教徒が過半数を占めていました。 - 1908年
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バリ島最後の「クルンクン王国」をオランダが滅ぼし、バリ島全土をオランダ領東インド領土とした。
バリ・ヒンドゥー教総本山「ブサキ寺院」オランダが侵攻の際、最後に残った「クルンクン王国」は「ププタン」といわれる婦女子も含む無抵抗の集団自決により滅びました。このことを国際社会から非難されたオランダは「バリ島の伝統文化を保全する政策」をとりました。
1917年に死者、負傷者多数の大地震がバリ島南部に発生しました。さらにインフルエンザの流行、凶作が続き、これらの出来事をバリの人々は祟りと捉えたのです。
神の怒りを鎮めるために、神のお告げを聞く憑依舞踏「サン・ヒャン・ドゥダリ」Sang Hyang Dedariや災いを防ぐ力を持つといわれる聖獣「バロン」Barongの練り歩きなどが盛んに行われました。
その当時のオランダ植民地政府は、伝統文化の保全として、寺院としての役割をはたしていなかった「ブサキ寺院」の復興を目指し、旧王族を中心にブサキ寺院の儀礼が作り直され、総本山として地位が築かれました。 - 1945年
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インドネシア独立
1945年8月に制定された「1945年憲法」の前文「パンチャシラ(建国5原則)」の1項に「唯一神への信仰」がある。
ヒンドゥー教では基本的に「ブラフマー(創造神)」、「ヴィシュヌ(維持神)」、「シヴァ(破壊神)」が三大神です。これでは唯一神ではないため、バリ・ヒンドゥー教は認めてもらえません。
ヒンドゥー教の宇宙論における最高の支配者「ブラフマン Brahman」の概念をとり入れました。ブラフマンとは永遠、無形、内在、無限であり、すべての形態、空間、時間、エネルギー、宇宙とそれに含まれる全ての内容を支配しています。
「ブラフマン Brahman」の概念に関連して、全知全能の神「サン・ヒャン・ウィディ」Sang Hyang Widhiを唯一神とし、三大神はサン・ヒャン・ウィディの化身であるとしました。
「サン」とは、おそらく高位の神の称号(バリ人は高位の神を呼ぶ際に称号として使うことがある)。
「ヒャン」とは、超能力的な力を持つスピリチュアルな存在を指す言葉です。
「ウィディ」とは、知識、無知の抹消を意味し、無知の解決のために様々な形をとるといわれてます。